限られたもの中で

昔の人の生活に通じるかっこさは

無駄がないところ、限られているところ、その中で生活をしているところ

昨日、梶井基次郎檸檬を再読し、

「洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様 を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見る のに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買う位の贅沢をす るのだった。」

という一節があり、

例えば、田舎のこぢんまりとした、個人商店のようなところにある小物が妙に輝いて見えることと通じるような気がした。

限定されたものは自分にとってはとても美しく見える。

資本主義の、色々なモノに溢れた社会は、そのような心を奪ったと思う。少ない物の中で、ひとつひとつに焦点が当たる

物質も、木、金属的な物、

この文章だけで、いろんな質感や匂いを想像できる.

もうこのような美しさは戻ってこないのだと思うと、この文章の中に感じたものを永遠に大切にしようと思った。

それに似た感情については

子供の頃の駄菓子屋も挙げられると思う。百円という限られた、本当に小さな単位のお金でも、いろんなものを買えた。あのような経験は、とてもよかった。自分も、買えるものも小さい。ちびまるこちゃんの漫画で、お小遣いの貯めたお金を出して、ハンカチを買うシーンがあったけどあれも同じ良さがある。今は小銭の良さも、忘れてしまった。小さな単位で生きてた時代のことを思い出して、元々お金ってそういうものだったと思い出した。小さな単位でまた、生きてみたいなと思った。今じゃ毎月、お金がどんどん流れて、いる。