この前阿蘇に行ってから、全然違う空気に驚いた。

元々、青山真治監督のユリイカという、私の一番好きな映画のロケ地だったのを

つい最近知った、なぜだかわからないけど、あの場所はどこだろうとずっと頭の中で考えていたところ、なんとなく阿蘇のような気がして、調べたら合っていた。

青山真治監督は北九州の門司の出身だから、九州を舞台にした映画をたくさん作っていて、役者も長崎の諫早生まれである役所広司を採用していて、私には本当に馴染みやすい映画たちなのだ。あまり熊本には縁がなく、空気感もわからなかったけど、初めて阿蘇の地を訪れて、その雄大さに本当に衝撃を受けた。そのミステリアスな空気がユリイカの全体的なイメージを形作ったのだと思うと、映画監督というのは、常にロケーションに左右される気がした。それで、私は映画監督になって、いろんなロケーションを探し回りたい気がした。北野武ソナチネの沖縄の海と荒々しさのように、私は土地の空気を何かの塊のように表現することに興味があってそれらを見るのも好きだ。90年代の香港を見ていると、何か映画を作らないと居た堪れない空気を感じたり、場所に訪れると強烈な印象と、そこからの影響が数日続いて、映画監督はそのイメージさえも超えれるものを作ることができるのだからすごいと思った。

先日、ヴィムヴェンダースの回り道という映画を見た。この監督の映画を見るのは久しぶりだったけれど、相変わらず青年の抱える鬱々とした感情がフィルム全体から浮かび上がっていた。ずっと曇り空のような空気が彼の映画にはある。何より、主演を務める俳優さんが、高校の地理の先生にとてもよく似ているから好きだ。よく映画の中で孤独について語っている気がするけれど、孤独は外側から見る時にのみ感じられるものと劇中で言っていて、それは最近見た、ヴィムヴェンダースが監督をしたパーフェクトデイズにも通じるものがあって感動した。その男も外側から見れば孤独で悲しいように見えるけど、当の本人はいたってその暮らしの中で自分の楽しみを見つけてとても充実している。それがとてもよかった。

最近は土地の空気ばかり頭の中で考えている。私が消化できるのはせめて九州の空気だけだろうと思うけれど、他の土地も行って空気を直接に感じてみたいなと思う。沖縄の久高島に行ってみたい。熊本や、宮崎、鹿児島は車でしか行けない場所も多く、熊本に住んだら、割と九州の全ての場所に車ひとつで行けるような気がする。でもそういう自然に近い場所ほど建設関係の若いお兄ちゃんも多くて、その荒っぽい空気がとてもここの空気っぽくて馴染むのは大変そうに思った。その空気は青山真治の映画にも現れている。

最近、すぐに海に行きたくなっている。5月の長崎市内もとてもいい空気なので行きたい。果物屋さんのフルーツジュースを飲みたいと思うし、色々したいことも行きたいところも出てきて、夏にかけて元気になるんだと思う、この感じを思い出した。夏はやっぱり楽しくて、こう書いてると明るい人間のように感じて驚くけれど、実際自然も海も好きなのはかなり精神的にはオープンで沖縄人みたいな空気を自分の中に感じる時すらある。