日記

4月の終わり急遽思い立ち、5月1日の休みを存分に楽しむための旅の計画を仕事中に考えていた。

その前日あまりにわくわくして眠れなかった。ここ1ヶ月、仕事と生活に追われ音楽を制作し、ずっと家に引きこもっていて、旅をする余裕がなかった。いつのまにか元気もなくなっていて、旅をする元気もなくなるんだと思うと悲しくなったから出来る限りのワクワクした気持ちでドーパミンに頼り、睡眠不足のまま旅に出た。

電車に乗って行こうとしたけど運賃すら高いと思って、それに時間通りに電車に乗ることが苦痛で、車で行くことにした。2時間半かかるということだった。ガソリンを入れ、音楽をかけながらワクワクした気持ちでスピードを出した。実際わたしは車の運転が本当に好きだからか2時間はそんなに長く感じなかった、それにもう家に帰りたくないと思って、できる限り遠くに行きたいと思っていたからちょうどよかった。

何度か来たことはあるけれど車で訪れるのは初めてで、初めての道は少し不安で、でもなにより走ったことのない道を走ることは本当に刺激的で、車から見える景色にただ息を呑んでいた。あまりにも綺麗で、緑が目一杯に飛び込んできて光は強く街や山を照らし、それだけで胸がいっぱいになった。

街は他のどんなところよりも違う雰囲気で、外国のような,例えるのなら台湾のような。斜面に沿って家々は立ち並び、車は活気に走っている。山の中に繁栄する街は、立体的で平地よりも好きだ。

車から降りて、街を散策した。高校を卒業したくらいに訪れた喫茶店は四年ぶりで、相変わらず本当に素敵な喫茶店だった。街は至る所に植物が置かれていて、本当に賑やかな空気だった。

果物屋さんのフルーツジュースを飲んだ。何にしようか迷っているんですと言ったらザボンを勧めてくれて、飲んだ。コクがあって美味しいでしょうと言われ、本当にその通りで美味しかった。少し苦味があって、甘いだけのフルーツジュースではなく、本来の果物の甘さだった。この味が忘れられなくなった。穏やかなおじいちゃんが店に立っていて,ずっと残ってて欲しいと思った。こういうところはもうなくなるんだろうか、ジュースといえば、カフェばかりの場所になるのかと悲しくなった。

そのあとは街を2時間くらい適当に歩き、写真をたくさん撮った。夕方の光と影と本当に綺麗だった。夕陽の時間に写真を撮るのがやはり好きだと気づいた。

見た人々のことを思い出した。路面電車では小さい子供を連れたお母さんにおばあさんが何ヶ月なの?と聞いていた、その風景とか、韓国に来た外国人に話しかけられた男子高校生が流暢な英語をさわやかに喋っていたりとか、本当に映画の中にいるみたいだった。外国人がたくさんいた。

あと、車を走行してる途中、バイパスだったけどママチャリの自転車で走ってるおじいちゃんがいて、タフだなぁと思ってかっこよかった。

あとは農道にて、軽トラとおじいさんの、かっこよさ。

夜まで遊んでいて、駐車場が閉まる時間はもう過ぎていることを知らず、帰れなくなった。どうしようかと思って、とりあえずネットカフェに泊まった。初めてだったので良くわからず、でもその変な雰囲気とか、落ち着かなさが面白かった。わたしは野良犬になったと思った、その時。寝たくても寝付けず、夜中に何度も目が覚めて、他の人の声もしていて、ずっと変な感覚だった。

朝になって、帰ろうとするとGoogleマップは行きと違う道を案内していて、わりと街の中心地だったから運転が怖いなと思いながらも、ワクワクしながら運転して。やっぱり街の中心をドライブするのは本当に楽しい。怖かったけど。

そのあとはずっと山の中を走行して、農道を走り、海も見えた。緑の中のトンネルは向こうも緑に吹き抜けていて美しかった。運転中の景色が一番美しかったのだけれど、写真に写すと普通になると思う。これは運転しないと実際に体で感じることはできない。例えば風とか温度とか光とか色とかそういう全てが混ざったものを人はどのくらい受け取れるのかと思う。全てではなくとも光を強く受け取る時もあれば、風や色が色濃く記憶に残ることもあると思う。それは人が機械ではないからだと思う。

家に帰るのが不思議で仕方なかった。家に帰るというのが人間的で、その帰りにスーパーに寄ったのも、不思議だった。そしてこれから仕事だ。

こんなに自由を追い求めても結局は人間に戻ったような気がして、旅をしてる時は私は人間を辞めているようでとても心地よかった。人間はお金で、生活で、仕事だと思う。

さてこれから寝る。1日しか休みが取れない分、詰め込んで遊んで疲れたから、ゆっくり休む。仕事では旅をしてくる人を受け入れる側で堪らなくなる、わたしはどこかに行きたい。