なんだか

東京にいきたいって気持ちより

自分のことを知らない人がたくさんいる土地の方が生きやすい気もするし

その方が音楽にたくさん集中できるなっておもう

わたしが東京にいくことを決めた理由も

わたしと同じように大学を辞めた友達が、東京に行きたいって言ってから、一緒に住みたいってわたしが言ったからで

東京にいって、その子と住むのがとても楽しみ

ひとりだったら

ここでいいかなって一生思うけど

その子がいるからわたしもここを離れて、一緒に旅したいなって思うf:id:lamuchaina:20240419024013j:image

この子と一緒だったら、わたしはわたしのままでいられそうだとおもう

それで元気が出てきた

 

寝る前に読書しようと思った

本は閉じられてて、たくさんの文章の中に自分が選ぶ言葉とか目に飛び込んでくる文章とかその時であって、それが心に残ったりする

ことしはなるべくそうした時間をたくさん経験したいと思う

分かりにくい言葉 難しい言葉 なかなか頭に入らなくて本を読むのも疲れてしまうけど、本を読んでいた頃の喜びを思い出した。

久々に本を読むと全く分からなかった。
抽象的な言葉が久々だった
意味のない言葉は詩でもあるように ただそこにあるだけで特に意味も持たない言葉は わたしたちが日々意味から解放されたいと願う気持ちのようで
それは心を自由にさせてくれると思う

 

映画館に逃げ込むことが唯一の最近の気晴らしで、でも映画を見終わった後は気分がいい しばらくして、生活と仕事の繰り返しのような生活をすれば、その感覚は徐々に失われるけれど
映画の方がフィクションではない様な気がする 現実のほうがなんだかウソっぽいというか空虚な感じがする

だからいまだに、何もかも真面目に取り組めないのだと思う。

人が作った常識やルール、人の会話。馴染めない

今日なんとなく郵便物出すために散歩してて、

その道の途中で猫に遭遇した。野良猫を見たのは本当に久々だったからカメラを向けてしまった。なんか、絵になってたのだ。

その猫はわたしにくっついて、すこし離れようとしたけどついてきた。その感覚も久しぶりで、昔に戻った感じがした。

なんとなく写真を撮ってしまって(それはとても可愛らしかったから)でもなんとなくもう、今は写真を撮ることに対して、疲れてるから、本当はそのままで良かったと思う。

スマホで動物や人を撮る時、なんだか不快な感じがするのはわたしだけか。

カメラを向けることはまだいいけど、スマホだと、それがどこに出回るか分からない怖さがあって、あとは人にスマホを向けるということがそれ自体が怖い。

だから随分ともう、スマホで写真を撮ることが嫌で、おまけに、普通にカメラで写真をとることもなんとなく嫌になった。これはなんだろう。

綺麗な景色を見たいと思うとき、それは綺麗な風景を本当に見たいのかなと思う。綺麗な風景を撮ったり、それでsnsにアップすることが混みになっているとするならば、わたしはもう少し原点に帰りたいと言う気がする。

今日は音楽を作ってたけど

詩を入れるところで

わたしは結局、もう音楽になんのメッセージも入れることができないなって思って

自分が書いた詩の全部の言葉が嘘っぽく聞こえた

それで自己嫌悪になって、何回聞いても嫌な感情になって 音楽作る時に嘘つきたくないなって思った

音楽作る時、大体こんな感じで

いつも自己嫌悪の感情と戦うし 

なんか楽しくないなーって感じの時がある