“間”の感覚

同じ方向に二つの車輪を回していくイメージを最近頭の中に連想する。それは今思えば、自転車や車のことだと思った。

もう片方が後ろ向きであれば、それは乗り物にはならない、前に進むことを自然にできている人はごく僅かで、人は必ずしも前進的な生き物ではないと思う。動物は今だけを生きるけれど、人間は過去も同時に生きている。後ろ向きに車輪を回しながらも前に動くということはどういうことだろうと考えていた。

過去を振り返ることは人にとって、癒しであると思う。一つのクッションのような。それは人は常に今のこの状況を飲み込みながら自分の人生の位置を確認して生きていると思う。

わたしにはいまその時間が足りない。今目の前のことをする時間しか与えられないくらい、仕事や家事で埋められ、空白がない。

空白がただ欲しい。人は何もしない時間というのがやはり必要で、この"間"の感覚。ポーンと抜けたような時間の外に逃げる感覚は、大事な気がする。

写真においても、生活する上でのいろいろな情報の嵐から逃げる方法の一つとして、わたしは自然へ行き何枚か写真を撮る。それも自分が間を大切にすることの一つだと思う。抽象的なものを投影させるなら、写真か音楽であると思う。

あともうひとつの間は、お茶を飲むことだと思う。お茶を飲みながら、想像や過去に耽ること。そのような時間。

 

みんなが思う、間はなんだろうか。それは無意識的なものだろうか、意図的なものだろうか。